火事場の安否確認

-- 刑事さん、あの人です。--

週末廃人

 僕が時折口にしたり,文中に散らしたりする 「鬱」 という言い回しは一種のネタであって,本当に自分が鬱病であると思ってるわけじゃありません.
 一人っ子として生まれ,幼少の頃は躾にうるさい父親に年中あの手この手で折檻され,反面ヒステリー持ちの母親からは非常な過保護を受け,学校ではいじめられ,両親は不仲で8年ほど別居してました,とかいう話も事実ではあるけどネタです.現在の我が家 (僕は一人暮らしだが) は,世の一般家庭とはだいぶ趣を異にした感じではあるものの諍いはありません.
 ある程度まとまった数の読者がいれば,何を突然こんなところでカミングアウトし始めたのかと訝る向きもあろうけれども,少なくとも現時点においては読んでる人間もごく一部の顔見知りか,「汁 エロ人形」 とか 「女子 スカートの匂い」 とか 「ジュニヤ水着」(すべて原文ママ) とかキてる検索ワードで間違って飛んでくるやつしかいないんで,目的は単に作文の練習です.
 物心ついたときから作文が大の苦手でさ,小学校の頃もっとも嫌いだったのが読書感想文だね.もしくは佐々木淳君.

 こんなものを書くきっかけになったのは土曜の夜のことだ.
 いつものように遊んでくれる女の子もいないんで,ケツに褥瘡ができかねない勢いで引きこもって大手画像掲示板なんかに張り付いていたんですね.
 そこにCocco のようつべ動画が上がってたわけですよ.CoCo じゃないよ.以前に宮前真樹がどうの,なんて話が出たが.
 で,それを再生しても特に何も感じるところはなかったんだけど,その昔,研究室のN君にベストアルバムを焼いてもらったことを思い出した.  ...それは触法なんじゃないの? 触法少年なんじゃないの? いや,焼いてもらっただけですから,フライパンで.
 それと同時にロクに聴いていなかったことも思い出した.
 CD は全部MP3 化してあるはずなんで,ちょっと聴いてみようかなとiTunes のライブラリを眺めたところ,2枚組のうちの1枚目がどうも取り込みに失敗していた模様.
 あれ,しょうがねー,もっかいやるかってんで,そのこんがり焼けたCD を引っ張り出して,取り込みついでに人形削りながら聴き始めたんです.
 収録曲の中にその名も 「遺書。」 という作品があるんですよ.
 ご存知のようにあの人の歌詞はあんまりマジョリティ向けではないというか,ミュージックステーションに出て午後8時から歌ってる場合じゃないような感じが傾向的に見て取れるんですが,僕はこのとき曲のタイトルも知らず,不意に聴き取った言葉の断片に彫刻刀を持つ手が止まったので,歌詞を調べようとぐぐってみたんです.
 で,ひっかかったページが全部メンヘラのブログなんですよ.

 実態はどうなのか分からないけれども,ネット上にいる(自称)メンヘラのみなさんは,ブログなんかやってるだけあって,とても自己顕示欲の強い人が多いように思われる.
 そこに複数の人間が集まったとき,交わされている内容というのは往々にして所謂病気自慢合戦だったりするんですが,本人たちはそういう風に馴れ合う仲間を求めているのかどうなのか.少なからぬケースにおいては,別段他人の話を聞きたいわけではなく,傷を舐め合いたいというでもなく,ただ自らの不幸な身の上を誰かに聞かせて,自分の望む反応を期待しているだけのようにも見える.
 僕もネット歴10年を超え,南条あやちゃんやナコさんの顛末をリアルタイムで追いかけていたこともあるけれど,僕は結局彼女らの言動を実感とともに理解することはなかった.
 しかし,ネットを介して発信・交流するメンヘラ像の素地を創出したのは間違いなく彼女らであって,現在に与えている影響は多大だ.ネット上にはフォロワーが雨後の筍のごとく生まれたし,ネットの外でもマスコミが南条あやを取り上げるたびに死人が出たという.
 ところで,こういった種類の人々にある程度共通して受け入れられる世界というものはあろうと考えられる.ただ,今日に至るまでフォロワーの間では趣味嗜好が大変画一的で,端的な例として南条あやはCocco ファンだった.Cocco ファンが全員メンヘラということは考えにくいが,ネットに存在するCocco 記事はメンヘラの手になるものが大変目立つ.確かにCocco 自身がメンヘラ(風味)であることもあって,同類の共感を呼ぶのは当然だろうし,健常な人間はわざわざCocco を記事にせずとも他にいくらでも書くことがあるという指摘もあるだろう (例 : 溺愛していた加護ちゃんが解雇されてショックなんで死にますさようなら).それでも無理やり僕が何を言いたいかといえば,なぜみんなそこまで示し合わせたようにCocco なのかと.いや,もう話が破綻していることは分かってるんですけど,そう思っちゃったのです.メンヘラが全員Cocco 好きならば,彼らの症状も全員共通なんだろうか,とか.俺はメンヘラじゃないと思ってるけど,さりとてまったく凡常そのものとも言いかねるこの感じにばっちりご賛同いただける人物は実はかなり大勢いるのかな,とか.
 まあ,実際の僕の感想というのは多少別のところにあるので,明言を避ける様子が窺い知れて不快に思われるかもしれないけれども,そこは話の筋としては本質ではないので別の機会に譲る.

 毎度脱線しますが,南条さんについては,ネットで知れ渡る前,当時ちょくちょく買っていたサブカル系雑誌のひとつに連載されていたころから,今になってみればファンだったのだろう.亡くなったときは大変な衝撃で,学校の情報棟のモニタの前でしばらく呆けてしまったものだ.
 彼女のテリトリー (亡くなった現場も) は僕が浪人時代に過ごした下北沢で,大して勉強もせず近所をほっつき歩いていたあの時分のことだから,きっとどこかですれ違ったことくらいあっただろうその人が消えてしまったという出来事は十分なインパクトだった.
 動いている姿も声も知らず,モニタに映る字面のみを通して一方的によく知っている,というこれまでにない認識対象だったこともあり,「死んだ」 という結末を前にして,二度と読み返せない物語が永遠に終わってしまったかのような何とも言いようのない感覚に陥った.
 当時,ネット上の事物というのはどこか絵空事であって,非現実的な響きをもって伝わってきたものだが,あの事件を反芻しながら数日経つうちに,僕は初めてネットでつながった先も現実だったことを実感し,そこに確かに存在していた人間が死んだとき,当然の帰結としてネット上の人格も消えたのだ,という事実を受け入れることを余儀なくされたのだった.

 で,話は元に戻るんですが,というかまた別の話が始まるんですが,昨年末,会社で昼飯を食いながら 「あんまりにもヒマで年末休みを前にat a loss」 と繰り返していたら,見かねた同期のA君が飲みに誘ってくれた.
 彼は中学時代から頻繁に合コンを繰り返し,僕とは対照的な人生を歩んできた人物ゆえ,ホモ飲みじゃつまらんだろうと言ってすぐに女の子の都合をつけてくれたんです.
 ちなみに4年前,僕は生まれて初めて 「お前は確実にモテる」 とかいう台詞を,A君とその彼女に普通に言われましてね.数多の男女を見尽くしてきた人間,それも男女2人からそんな風に言われるのは大変嬉しいことだが,このびっくりするくらいモテない現実はなんだろうか.

 結局この,男3女2で飲んだ12月28日は無闇に楽しかったんですよ.まことにバカな飲みで,べろんべろんに酔いながらも周囲の酔客がだだっ引いている様子が明白に窺い知れた.
 そして2時半くらいだったか新宿の神座で 「おいしいラーメン」 をすすりながら,どんな文脈だったかは覚えていないけど,オナノコが冗談ぽく 「しにたい」 って発言したんです.
 で,夜中に無駄に広くて煌々と明るいラーメン屋の2階席でオナノコ含め3人が一斉に挙手しながら 「はい!俺も!」 「はい!死にたい!」 とかもううるさいね.
 そしたらA君が 「なんだお前ら」 とオムズガリじゃないですか.「死にたいなんて思ったことねえよ」と.

 「いやでも中学高校くらいの頃,ちょっとくらい 『自殺したい,かも☆』 なんて思ったことあるでしょ」
 「ね」
 「うん」
 「ないね,何だそれ,お前ら引くわ」
 「いやいや,引くてw  お前のそのマジバッシングがおもろいわ」

 僕は今,死にたいと思うことはないが,面倒じゃなくて痛くなければ,今日生きようが明日死のうがどうでもいいと思ってるんだけど,そんな話はできる状況じゃなかったっすなw

 その後,他の二人 (細かい注釈を加えるならもう一人のオナノコは帰宅済) は,かつての自分がどういう心境で自殺を思ったのかについて話したがる様子だったが,それはもちろん過去の自分を半ば嘲笑するノリであって,この雰囲気もまた僕の現状に合致するとは言いがたい.
 しかし,その場に現役のメンヘラがいたとしても,僕は誰かとそんな話をしたいとは思わないし,親に対する感謝や責務を果たそうとする心理以外に,僕が自分の生を肯定する条件は 「この世と接続されていること」 という唯一点であって,安直に言うならば,交際相手のお嬢さんがいる時期は自分との接続を求めるその人のために 「死にたい病」 を回避することが可能なので,相応に理解のある彼氏彼女がいながら自殺したりするメンヘラさんの複雑な事情は分からない.痛いのは嫌いなんで自傷も分からない.悩みすぎてメシが食えないこともないし,夜中に奇声を上げることもない.

 ただ,友達はいないと本当に思っているし,半年に一度くらい誰かから 「コンパ呼ぶわ」 だの 「水族館行こう」 だの誘われてそれらしく返事はしても,実現することがないので全部嘘として処理している.実現しないのが人望のなさに拠るのか,その手の台詞が一般に社交辞令に過ぎないだけなのか定かでないが,たぶん両方なんだろう.「なんだろう」 とか平然と書いてるように見えるかもしれないが,決して平然と過ごせているわけではなくて,寂しくてどうしようもなくなるが,助けを求める先もないんで我慢している.世の中ではこんなことが日常茶飯事で,常識的な人は別に助けなんぞ必要としないし,我慢にも値しないんだろうかと思うとますます凹む.
 毎日の通勤途上では,靴を踏まれて舌打ちしたり,携帯を見ながらまっすぐこちらに歩いてきた阿呆を体当たりで弾き飛ばしたり,集団で酔っ払って道いっぱいに広がったおっさんの肩を 「邪魔」 と吐き捨てて押し退けたり,イライラしっぱなしのようにも思えるけどそれが普通か異常か不明だ.
 近頃はとても無気力で,土日はまったく出かける気にならず,先日夜の住宅街を撮りに出かけたのも,あれは実は夜中じゅうずっと女の子が電話をかけてくれてたから実行できたのだった.
 その子やA君なんかは傍から見れば友達なのかもしれないけど,この場合ほど傍目が意味を成さないこともない.

 常人と狂人の境というのは到底定義できるものではないので,本人や周囲が不具合を感じた時点で適当に狂人フラグが立つだけの話なんだろうが,ちょっとオモテに出て2,300m 歩くうち出会った人に 「友達いますか?」 と尋ねてみた結果を予想するに,僕は少数派に属するような気はする.友達を持たない人間が狂ってるってことはないでしょうけど.
 もっとも,ネットのメンヘラさんが自分の病名を肩書き代わりとして固執する風潮があるのに対して,僕は自分が常人か狂人かという議論には全然興味がなく,「一週間に一度も携帯が鳴らないことでお馴染みで,友達も彼女も自信も気力も美貌も運動神経も知力もカネも話術もありません.たまに携帯鳴ったと思ったら美容院から1000円割引が当選しました!おめでとうございます!夜中の4時55分に!殺すぞ」 という問題にただただ悩み続けて,大した努力はせず,どうにか事態が好転しないかにゃあと引きこもってチン子を弄び続けるのみ.

 もうすぐ30 だっつーのに 「友達がいない」 なんてことを20年前から継続的に苦悩し,一方で稀に友達だと言ってくる人を信用できず,女の子からの連絡は好意によるものと思うべからずと屈折気味に自戒し,別の意図を邪推しては嫌気が差し,かといって疎音になれば寂しく,そんなことを寂しく思う自分が腹立たしく,何もかも嫌になって携帯の電源を切って一週間ぶりに電源入れたらメール0通とか言われて,毎日手淫を欠かさず,仕事に希望が持てず,これは鬱だのボーダーだのというより単なる中二病なんじゃないですか.社会不適合に変わりはないが,実情は思春期の少年少女未満だよな.いい加減にしろよ,もう30なんだぜ,ほしのあき.
 しかし,僕の精神は結局成長することもなく,死ぬまでこの調子なのだと思う.つらい.


  1. 2007/04/23 (Mon) 01:34:35|
  2. 与太話
  

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