火事場の安否確認

-- 刑事さん、あの人です。--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/-- (--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

小明の秘話を読んだ

 僕がネットの世界にほーむぺーじというものをつくり,そこに日記を書き始めたのは9年前のことだ.
 大学に入って一人暮らしを始めて,少し落ち着いた頃だった.
 実際には違うと今でも思っているけれど,当時の僕を傍から見たら,それはもう世に言う燃え尽き症候群といわれても致し方のない有様で,学校の授業には形式的に取り組むものの,それ以外の時間,いったい何をして過ごしていたのか,今となればまったく思い出せないほど何もしていなかった.

 パソコンを買ったのは絵を描くためだ.
 だから一緒にペンタブレットも買った.
 不慣れなタブレットを使って何枚か描いて高校時代の同級生に見せたら,ネットに晒せと勧められた.
 どこかでHTML を調べてきて,メモ帳にチマチマとタグを打った.

 そうしてつくった拙いページに,どんな動機からだったろう,いつしか日記も書くようになったのだ.

 やがて,チラホラと絵を見に来る人がやってきて,掲示板やチャットで話をするようになった.
 その中には稀に,僕の仄暗い頭の中に浮いては沈む,幼稚で漠たる負要素を塗り込めた日記に幾許かの感想を与える人もいた.

 当時,ネットとリアルの境界は今より明確で,ネットはどこかアングラで架空の世界,そこにいる不思議なハンドルの人々もまた然りだった.
 ネットの人々と字面で会話する感覚は,隣にいる人間の顔を見て話すのとはまったく異なっていた.
 極端なことを言えば,彼らの紡ぎ出す言葉の数々は,それが実在の人間によって発せられていることを何も保証していないようにさえ感じられた.

 リアルの世界でほとんど口を開くことのなかった僕は,連日,真っ暗な部屋に煌々と浮かぶディスプレイの中の世界に入り浸り,仮初めの奇妙な連帯を味わう作業に没頭した.


 少なからぬ人々は,大学時代を 「自分探し」 の期間に充てる.
 自分の力の及ぶ限りは世界のどちらへでも向かい得るのだと空想しがちな,大きな可能性と同時に不安定さを孕む時期だ.
 自分はこれから先,何を柱として生きればいいだろうか.

 所謂 「人生が軌道に乗る」 ということが,その人生の持ち主にとってどう定義されるのか,またそのことの達成がどんな意味を持つのかは普遍ではない.
 ただ多くの日本人の場合,人生の軌道というものは,信条的なものよりも,より卑近で即物的な都合によって語られるあまり面白みのないもので,そういう現実的な観点で地に足がついている,と実感することは,精神的・物質的な拠り所となる.

 「何を柱として生きればいいか」 という自分探しの問いかけは,詰まるところ 「何をして食っていけばいいか」 という内容に落とし込まざるを得ず,現実を直視してそこに自分をうまく当てはめることができない人間,もしくは現実に左右されない確たる自分を持てない人間は,悩み苦しむことになるんだろう.

 そして僕は,ひたすら内に篭もって行動しなかった.


 小明さんがブログを始めたのは,その頃の僕とちょうど同じくらいの歳,大学生の頃だという.

 ただ彼女は,モラトリアムの中で淀むがままに現実逃避に堕する僕とは違い,自分を変えたくて,誰かに好かれたくて踏み込んだという,極めて現実的な価値観が支配する,これぞ現実世界という環境で,茫々とした自らの理想と,一方で自身に向けられる明瞭で具体的なニーズの不整合に著しくもがきながら,着実に心と身体を稼動させて日々を積み上げていたことだろう.
 もっとも,その時点で彼女の中にありたい理想の姿があったかどうかなど,僕が知るすべはないけれど,将来に渡る明確な飯のタネを芸能界に求めていたかといえば,むしろ自分探しの側面の方が強かったのかもしれない.

 ところで,雨の中野から帰って小明さんのブログを知った僕はその後,いろいろと夢中で情報を漁るうち,ひとつの動画に出くわした.
 それは3年前にCS で放送されたアダルト番組の一部をキャプチャしたもので,そこには,放送第一回のナビゲーター役を演じる小明さんの姿があった.

 数日前に初めて彼女の名前を知り,過去にはまったく見覚えがないと思い込んでいた僕は狼狽した.

 3年前,彼女がもっとも苦しんでいた時期かもしれないそのときの姿を,当時の僕は確かにテレビの中に見ていたのだ.
 ともすればチンコをしゅしゅしゅと擦る合間に,である.

 虚を衝かれて動揺する僕に,Google さんはご丁寧にも,その番組出演時のインタビュー記事を示してくれた.

 その手の記事としては異例とも思えるネガティブな受け答えが続く内容で,そこに並んだ無機質な活字には小明さんの困惑や自棄がありありと浮かんでいるのが看て取れた.

 その後にはもう動画を正視できそうになかった.

 記事に添えられたグラビアの笑顔がとんでもなく悲しく見えてきた.

 僕は3年前の自分を棚に上げ,さらに彼女 (モニタ上の) に語りかけた.

 「こんなの,もうやめたらいいよ」

 当時のファンにも痛ましく映ったかもしれないこの状況,番組の営業担当ですら 「この番組に出たこと,プロフィールから消さないでくださいね.. 再出演を願うファンの声がいっぱい届いてます」 と,たとえ外面的であるにせよ同情しながら励ました状況が,本人には如何ばかりに感じられたことだろうか.


 1年後,小明さんは事務所をやめてフリーとなり,ライター稼業に転じた.
 僕が読んだ500本の記事というのはほとんどがこの時期のブログだ.
 力の抜けた平和な雰囲気の中に時折,人生行路の当て所なさが漂い,恵まれた文才と併せて,いかにも身につまされた.

 その上,より心を乱すのは,この一般人じみた (失礼) ,そのへんを歩いてる ねえちゃん的な感じを含めて,ここに描かれている世界はもはや圧倒的に過去なんだという,ある種 取り残された者の孤独感・拠ん所なさに似た感情だ.
 ブログの更新頻度が高く,日々悩める中にも,おはもふ!とか,れおんぽいってくる,とか,ほんの些細な日常の出来事を彼女が明るく伝えれば伝えるほど,その感覚はますます募る.
 夜通し寝られない寝られないとブログを更新し続け,結局朝になって今日はもう寝ない!と開き直るに至る2年前の記事を前にして,どうにも もどかしいこと この上ない.
 ではこれが現在の記事であれば 「うんうん大丈夫,俺も寝てないよ!」 とか何とか伝えられでもするのかといえばそんなことはないのだけれど,今まさに目の前で,それこそ電話でもかけて 「寝られんの?」 とでも言いたくなるような,呆れるほど距離感の欠落した展開が繰り広げられているにも関わらず,そこに時間的共有がないということは,世の中に何が起ころうとも,僕は絶対にこの場面とは連絡のない,実在の外に等しい場所にいるのだということを死ぬほど請け合われたということだ.

 こんなブログは,実はハナから後で振り返って読むようになんかできていないのかもしれない.
 今現在,本人は無事に生きてるんだから過去はオマケみたいなもんだと考えて当然かもしれない.
 しかし僕のように,無駄に感受性のタガが外れたような人間にとって,このどうしようもなく切なくてじれったい感情は独特なもので,時として心地よくもある.


 僕は先日,失礼ながらまったく小明さんを知らずに握手をし,サインをもらい,がんばってください,などとしょうもない挨拶をした.
 僕がしょうもない挨拶をしようが,目を充血させて一晩中ネットを漁ろうが,すごく上手だったり悲しかったりするブログを読んで身につまされようが,小明さんにとっちゃどうでもいいことなんだけれど,アレですね.
 どんな文脈に於いても,有象無象っていうのはつくづく無力で馬鹿馬鹿しい存在だ.


 ネットはもはやアングラで架空の世界ではなくなった.
 職場で隣に座るあの人や,テレビで見た芸能人,女装のベーシスト,そのほか見ず知らずのありとあらゆる人間がネットでホイホイ情報を垂れ流し,それを誰もが見られる世の中,僕は彼や彼女のことを実際何一つ分かってやしないのに,いくらでも分かったような気になれてしまう.

 あなたを3年前から見守ってきた.

 今のあなたは笑っている.

 本当によかった.


 正直なところ,僕の与り知らぬところで彼女が人生をどうしようと正に知ったことではないし,僕が何を言おうが思おうが彼女には何一つ伝わることもないけれど,それでも彼女が中野の狭い本屋で見せていた笑顔が本物であることを僕は願うし,今が押しなべて笑える毎日であるならば 「本当によかった」 と,妄想の中でなら何度でも声をかける.

 僕はあの日,あまり然したる考えもなく,開口一番,小明さんに 「今日からファンです」 と宣言したが,よくしたもので現実となった.


 次に小明さんと握手することがあったら,大変気持ち悪くて申し訳ないことに,なんだか泣いてしまうような気がしている.


スポンサーサイト
  1. 2008/09/03 (Wed) 02:02:23|
  2. 与太話

フトモモ

 えっ,フトモモがサクサクやってたのって9年前か! 9年前ってことはぼくは9年若かったんですね. そりゃすげえ. あ,なんか前の記事にも9年前ってデジャヴュ.

 また会社の雪隠で惰眠を貪るのに忙しくなってきてキャミィたんも滞り気味の昨今ですが,いよいよ脚に取り掛かっております.
 ニコ動を徘徊してるうちに今更見始めた こどものじかん に涙を流しながら,ロクに手元も見ず もりもりスカルピーを盛ってたら,おや,気づけばちょっとこれはマッソル過多か? これでは春麗並じゃないか? と不安になり,昔作った春麗を確認してみたら彼女はこんなのとは比較にならんほどフトモモっていた. 自分で作っといてナンだがすごいなコレ.
 しかしここまで中途半端にスカルピーだけで作りこんでしまったけど,この後の表面処理どうしようかしら.



 ところでデジタル一眼ですよ.
 フルサイズが3機種出揃ったけれど,いやー,キヤノンさん,微妙ですな.
 世間のインパクトとしてはα900 が一番だったんでしょうか. ボディデザインも昔のニコンみたいでかっちょいい. ソニンロゴは削り飛ばしたい.

 やはりここは悩ましいところではあるが,便●に見切りつけてマウント乗り換えるか. 最近どうも●所にホイホイ布施を供し続けることがアホらしくなってきた. 仕事柄,キヤノン以外なら情報収集が比較的容易で安心もできるし. でもD700 と24-70 で2kg か... それにマクロプラナーで60万か... ブツブツ...


  1. 2008/09/18 (Thu) 00:16:50|
  2. - 006 キャミィ
  

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。